なぜ人は死にかけると、良いことをしたくなるんだろう?—— 宮沢賢治「雨ニモマケズ」の感想
こんにちは。ザートと申します。エジプト在住のコンテンツライターで、日本文学に興味があります。今年の二月、JF(ジャパンファウンデーション)の日本映画週間で働きました。そのとき、「銀河の鉄道の父」という宮沢賢治についての映画を二回見ました。とても感動して、泣いてしまいました。仕事が終わったあとも、その作家の人生や文学作品について深く考えました。いろいろな疑問が浮かびましたが、その中でも一番心に残ったのは「なぜ人は死にかけると、良いことをしたくなるんだろう?」ということです。
その問いをきっかけに、今回は宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」についての私の感想をお話ししたいと思います。
宮沢賢治は子どものときから物語が好きで、小説や詩を書いていました。
でも、大人になったあと、「本を書いても人のやくに立たない」と思って、作家をやめようとしました。
しかし、お姉さんが病気(けっかく)になったとき、もう一度物語を書きはじめました。
お姉さんが亡くなったあと、彼も同じ病気にかかってしまいました。
とても体がよわくなっても、村の人に農業を教えたり、手つだったりしました。
病気がどんどんひどくなったある日、彼はふとんの中で「雨ニモマケズ」という詩を書いたそうです。
この詩は、強い体をもちたい気持ちや、単純で正直な生活をしたい気持ち、そして人を助けたい心について書かれています。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
彼は病気をしない強い体がほしかったと思います。
そして、欲がなくて、いつも落ち着いた心をもちたいと願っていました。
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
彼は、小さな家で静かに生きる、シンプルな生活を望んでいました。
食べものも多くいらない、心を落ち着かせて生きることを大切にしています。
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
この部分では、どこかで困っている人がいたら、すぐに助けに行く人になりたいという気持ちが書かれています。
人の苦しみを見すごさない、やさしい心を持つ人です。
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
この部分は、宮沢賢治の理想の人間像です。
つらいときにも人を思いやり、強くて、やさしくて、見返りを求めない人になりたいという願いがこめられています。
宮沢賢治は、死にそうなときに一生けんめい人を手伝いました。
でも、なぜそうしたのだろうか?
死ぬ前の気持ちはきっととても苦しいのに、どうして人のことを考えるのでしょう。
ほかの人も、宮沢賢治のようにします。
死が近いと感じると、急に良いことをしたくなる人が多いです。
私も昔、海の中で船から落ちたことがあります。
とてもこわくて、泳げませんでした。
近くに人もいなくて、「もう死ぬかもしれない」と思いました。
でも、そのとき不思議な気持ちになりました。
「今日は家族を手伝わなかった」
「道で見た猫に食べ物をあげなかった」
「いとこの勉強を手伝わなかった」
そんなことをたくさん思い出しました。
なぜ人は死にかけると、良いことをしたくなるんだろう?
その答えは、まだミステリーです。


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